太平洋戦争末期、「一大遷都」計画があったなんて…
松代象山地下壕は、太平洋戦争の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として極秘のうちに、大本営、政府各省庁、陛下の御座所を松代に移すという計画のもとに構築されたものです。 着工は昭和19年11月11日午前11時。翌20年8月15日の終戦の日まで、約9カ月の間に当時の金で約2億円の巨費とおよそ延べ300万人の住民および朝鮮の人々が労働者として強制的に動員され1日3交替徹夜で工事が進められました。 松代地下壕は、舞鶴山(気象庁精密地震観測室)を中心に、皆神山、象山の3か所に碁盤の目のように彫りぬかれ、その延長は10キロメートルにも及んでいます。 全行程の75%の時点で終戦となり、工事は中止されました。 松代象山地下壕 象山地下壕には政府、日本放送協会、中央電話局が移転される予定になっていました。 舞鶴山地下壕 宮内省が入る予定だった3号庁舎は、現在気象庁精密地震観測室の展示室となってます。 完成することなく終戦とともに工事は中止されましたが、これらの施設を利用して、1947年(昭和22年)5月に中央気象台松代分室がここに設置されて、地震観測業務が開始されました。 【松代が選ばれた理由】 大本営移動計画は後に終戦時の宮城事件に関わることになる陸軍省の井田正孝少佐が1944年1月に発案し、富永恭次次官に計画書を提出、大本営幹部会の承認を経た後、鉄道省の現地調査が行われ、全国に地下施設の構築計画案が決まり、大本営の建設場所には松代が選定された。 選定理由は以下のとおりである。 1.本州の陸地の最も幅の広いところにあり、近くに飛行場(長野飛行場)がある。 2.固い岩盤で掘削に適し、10t爆弾にも耐える。 3.山に囲まれていて、地下工事をするのに十分な面積を持ち、広い平野がある。 4.長野県は労働力が豊か。(実際は徴兵や満蒙開拓で労働力は豊かではなかったので、学徒勤労動員や国民学校児童まで狩り出された。末期には朝鮮半島の朝鮮人を動員した) 5.長野県の人は心が純朴で秘密が守られる。 6.信州は神州に通じ、品格もある。(Wikipediaより) 同行した友人夫婦に教えてもらって見学に来ましたが、費やされた金額と、強制的に労働させられた人のことを思うと、もう狂気としか思えない、想像もできないことです。 今回は天皇御座所、皇后御座所のために建てられた建物を見ないできてしまいました。 もう松代に再度行くことはないと思いながら、機会があったらこの建物の内部を見てみたいと思います。 奥の建物が天皇御座所(1号庁舎)、手前が皇后御座所(2号庁舎)だそうです。
by nhana19
| 2012-08-06 23:59
| 旅&歩く&見る&食べる
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