東京都麻布十番『きみちゃん像』 & 村岡花子
先日友達と麻布十番を散策しました。その時に出会ったきみちゃん像。
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「アンのゆりかご」村岡花子の生涯の本の中に”きみちゃん”がいました。
東洋英和の校長に就任していたミス・ブラックモアが明治36年(1903)に設立した孤児院「永坂孤児院」、そこで村岡花子は日曜学校の教師をしていました。

その当時、野口雨情の「赤い靴」のモデルの佐野きみは永坂孤児院にいました。
いったんはアメリカ・メソジスト教会の宣教師夫妻の養女となりますが、その後結核を患い、実際は”異人さんのお国”には行かずに、夫妻が帰国する際、永坂孤児院に託されて、明治44年(1911)、満9歳で亡くなったそうです。
花子はここで自分の読書経験を生かして身寄りのない孤児たちに物語を書かせていたということですから、きみちゃんも花子の物語を聞いたことでしょう。

きみちゃんは最初から孤児院にあずけられていて、宣教師夫妻とは会ってないなどの説がいくつかありますが、この時代、貧富の格差が広がり、さらに、日露戦争の不況によって追い詰められ転落する者が増え、経済不況と共に、さまざまな社会問題が深刻化していた。
孤児院の子供たちはこうした環境の犠牲者であった。   と、「アンのゆりかご」村岡花子の生涯には書かれています。

赤い靴(くつ) はいてた 女の子
異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった

横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった

今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう

赤い靴 見るたび 考える
異人さんに 逢(あ)うたび 考える
by nhana19 | 2014-07-24 08:46 | 日々徒然
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