マッサン展 琥珀色の夢と青いバラものがたり
先日従姉妹とマッサン展に行って「琥珀色の夢」はわかりますが、「青いバラものがたり」ってなにかな・・・と、ちょっとネットサーフィンを@@

「青いバラを是非作って欲しい」、という希望は、日本のウイスキー製造の先駆者である鳥井信治郎の次男、サントリー2代目社長を務めた佐治敬三が言いだしました。
長年ウイスキー製造に携わった彼が何をきっかけに青いバラを作ることを思いついたのかは、彼がすでに不帰の客となった今日、もはや調べようもありません。
しかし、バラが英国において特に好まれる花であること、そしてスコットランドの国旗が青地に白のセント・アンドリュース・クロスであることから考えれば、スコッチ・ウイスキーの製法を日本に教えてくれたスコットランドへの感謝の気持ちから青いバラを開発したいと考えたのではないかと推測することは可能でしょう。
研究チームに青いバラの開発を求めたのち、残念ながら青いバラが咲くのを観ることなく1999年、佐治敬三氏は亡くなりました。
2004年、研究開発から14年を費やし遂に研究チームは青いバラの開発に成功しました。
アブローズ(喝采)と名付けられました。
かつて青いバラの花言葉は「不可能」でした。バラには青い色素がないため、人類の歴史の中でも多くの人が挑戦しましたが、ことごとくその開発に失敗しました。
今、青いバラの花言葉は、「夢がかなう」、「奇跡」、「神の祝福」に変わっています。

佐治敬三氏のネットサーフィンをしながら
佐治敬三氏はサントリー創始者鳥井信治郎氏の次男であること、母方の縁者と養子縁組をして佐治姓になったが、そのまま大阪の実父母と一緒に暮らした。
娘婿かなんかで姓が違うのかな?なんて勝手に思っていた私って無知!

「仙台遷都などアホなことを考えてる人がおるそうやけど、(中略)東北は熊襲の産地。文明も極めて低い」
当時、首都機能移転の議論が行われていた時期の敬三氏の発言が原因で、サントリーに対し東北地方での不買運動がおこったとか。

サントリー創始者鳥井信治郎の長男吉太郎氏は31歳で亡くなりました。そこで、母方の苗字になっていた、次男佐治敬三氏が2代目に、3代目は亡くなった長男吉太郎氏の息子鳥井信一郎氏に、4代目は2代目敬三氏の息子佐治信忠氏に。
創始者、次男、甥、従兄弟での継承になっていました。
創業家出身者が4代にわたりトップを続けてきましたが、今回4代目の佐治信忠氏は、サントリー5代目社長を外部から招くことにしました。
5代目は、コンビニ大手ローソン会長の新浪剛史氏。「新風を吹き込みたい」でしょうか?!
でも、佐治信忠氏は代表権を持つ会長に、副社長には創業家の鳥井信吾氏、佐治氏の右腕青山繁弘氏。なんか回りかためられてない!?
それでも創業から115年、新しい風は社内に刺激を与えられるでしょう。

マッサンから、サントリーに移ってしまいましたが、ネットサーフィンをしているといろいろ知識を得ることができますね。
夫にいわせると、そんなことも知らなかったの~~!ですが、家庭にいてあまり社会の事を知らない無知な私でも、ちょっと社会人になったような(笑)気持ちにさせられたひとときでした。
by nhana19 | 2015-04-27 10:26 | 日々徒然
<< ディズニーシーのイースター&花 外務省外交史料館特別展示 マッサン展 >>