二泊三日の旅は忙しい。着いた日、帰る日、中一日と目いっぱい。
大阪に住んでいたころからの私のお気に入りのお店です。 気にかかっているお店などもっと食べに行きたかったのですが、なかなか時間がなくて手ごろな近場しか行けませんでした。お天気にも恵まれなかったし… 美々卯 冬場は結構食べに行きました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() そして家族のお勧め よーじやカフェ銀閣寺店 哲学の道は何度も歩いたことがあるけど、よーじやカフェがあるなんて知らなかった。 9年前にここにお店を出したそうです。 ![]() ![]() ![]() ![]() 私が哲学の道でお気に入りだったのは、叶 匠壽庵と、俳優の栗塚旭さんが経営している喫茶店「若王子」。 哲学の道に来たら、どちらかに必ず寄りました。今はどうなっているのかな~・・・ 機会があったら桜の頃や紅葉の頃にゆっくり歩いてみたいものです。 二泊三日のあわただしいけれど、楽しい京都旅でした。
3月の中旬。梅は満開の木、まだまったく咲いていない木、色々でした。
友達が大阪から京都まで出てきてくれて、北野天満宮へ行きました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() お店を出た後京都駅内のカフェーでひたすらおしゃべり。 大阪時代の友達は懐かしい。昔の話、今の話、尽きることなく… どうもごちそうさま。そしていろいろありがとう。
今回の旅の目的の一つ。智積院にある長谷川等伯の「楓図」、息子久蔵の「桜図」
一昨年3月国立博物館に、長谷川等伯没後400年の特別展覧会「長谷川等伯展」を見に行った時には、作風にただ感動しただけでしたが、いま日経新聞朝刊に連載されている「等伯」を読んでから、狩野派との関わりなどを含めた歴史的背景を知り、より深く心をこめて作品をみることができました。 秀吉は三歳で亡くなった息子鶴松の菩提を弔うのために、京都に壮大な菩提寺・祥雲寺(現・智積院)の建立を命じます。そこの障壁画を等伯に任せたのです。 桃山時代に長谷川等伯らによって描かれ、祥雲禅寺の客殿を飾っていた金碧障壁画が智積院には残されています。「楓図」「桜図」「松に立葵図」「松に秋草図」等は国宝に指定されています。 この宝物館の中に国宝障壁画はあります。 ![]() 左奥に見える「桜図」は、長谷川等伯の息子久蔵25歳のときの作品です。久蔵は翌年26歳でこの世を去ります。何故どのような理由で亡くなったのかはわかりませんが、安部龍太郎氏は連載の日経新聞でどのように表現してくれるでしょう? 「楓図」は、長谷川等伯55歳のときの作品です。息子の死後、息子の分まで精進しようとこの絵を描き上げました。 ![]() 智積院大書院。 客殿を飾っていた金碧障壁画はこんな風だったんでしょうね。 襖絵の左から「楓図」「桜図」、正面が「松に立葵図」 ![]() ![]() 豊臣秀吉公が建立した祥雲禅寺(しょううんぜんじ・智積院の前身のお寺)時代に原形が造られ、その後、智積院になってからは、第七世運敞(うんしょう)僧正(江戸三大名墨家)が修復し、東山随一の庭と言われるようになりました。 ![]() ![]() 智積院宝物館では「楓図」「桜図」を独り占めできて最高に幸せ。とても贅沢な時間を過ごさせてもらいました。 東京の国立博物館では人混みに紛れこんな時間は取れませんから。 「松林図」は国立博物館所蔵ですから、またいつの日か常設展でお目にかかれるかも。
先日、非公開文化財で特別公開しているお寺に、辰年に因んで龍に会いに行ってきました。
相国寺(しょうこくじ) 金閣寺、銀閣寺を山外塔頭に持つ臨済宗相国寺派の大本山。1392年に室町幕府三代将軍足利義満が夢窓疎石を開山として創建し、京都五山の第二位に列せられた名刹です。 法堂 狩野永徳の長男光信筆の天井画「蟠龍 図(ばんりゅうず)」は、堂内で手を打つ反響音が龍の鳴き声のように聞こえ、通称「鳴き龍」と言われています。 ![]() 臨済宗妙心寺派大本山で、46の塔頭を持つ京都最大の禅寺です。 隣華院 長谷川等伯の「水墨山水図」と、狩野永岳の「松図」を見た時には感動しました。 狩野派と長谷川派の絵が同じ所にあるなんて…どんな経緯でここにあるのか… ![]() 玉鳳院は妙心寺発祥の地で、46ある塔頭の中で最も由緒がある寺院です。 狩野安信筆の「竜図」 狩野安信は永徳の孫、探幽の弟になります。 ![]() 狩野派系図 ![]() この時代は長谷川等伯も活躍した時代で、とても興味深く見ることができました。 写真を撮ることができなかったので、ガイドブックから写真をお借りしました。 < 前のページ次のページ >
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